始まりは若柳の一軒家から

アトリエヨシノ で活躍する社員のインタビューです。
創業当時から在籍している彼女たちに、アトリエヨシノ の「これまで」と「これから」を聞いてみました。

  • 織家 久代

    織家 久代

    社長室長

    2000年入社

  • 織家 久代

    長谷川 淑子

    衣裳管理部(縫製)

    1999年入社

  • 織家 久代

    大島 多賀子

    CS事業部 衣裳プランナー

    2000年入社

  • 織家 久代

    平本 多美江

    衣裳管理部(縫製)

    1996年入社

  • 織家 久代

    高野 麻弓

    衣裳管理部(パタンナー)

    2004年入社

  • 織家 久代

    関根 彩香

    衣裳管理部(デザイナー)

    2004年入社

アトリエヨシノの出発点は?

  • 長谷川  若柳の一軒家ですね。1階が倉庫で2階が住居になっていて、外階段がついていました。
  • 高 野  よくその階段に衣裳を干していましたよね。
  • 長谷川  そう、浴槽で衣裳を洗ってね。
  • 織 家  衣裳担当でなくても、みんなで汗だくになりながら外で洗濯していました。社長も一緒になって、夏場にはみんなに麦わら帽子を買ってきてくれたことも今となっては懐かしい思い出ですね。
  • 高 野  千木良に社屋ができてからも洗濯は総出でしていましたね。
  • 大 島  当時は収益もないんじゃないかと思っていました(笑)。在庫が3,000枚になって大騒ぎしましたね。
  • 長谷川  月に100枚出荷して『すごい、すごい』と喜んだり。
  • 織 家  毎年ごとに売り上げが倍増して、どんどん成長していったので経理としては驚いていました。
  • 大 島  とても忙しくて、私個人としては売り上げへの興味などは持っていなかったですね。
  • 織 家  とにかく毎日仕事が終わらなくて、お客様の発表会や公演に衣裳が遅れるわけにはいきませんので、出荷が終わらないと帰れませんでした。
アトリエヨシノの出発点は?
  • 長谷川  流通のダンボールも、スーパーで貰ってきたものを使い回しにしていましたよね。
  • 高 野  オリジナルのダンボールができたのは千木良から?
  • 長谷川  千木良でしょう。若柳じゃ置く場所もなかったから。
  • 大 島  千木良の落成式には、お皿もお料理も何もかも皆で持ち寄りましたよね。
  • 長谷川  私も煮物やお赤飯を作ったりして、和気あいあいとしていました。
  • 大 島  20年前、ちょうどバレエブームが起きて、それまではいくつもなかったバレエ教室が一気に増えて大きな流れに乗れたんです。
  • 高 野  当時、バレエの衣裳はオーダーするか手作りが多かったので、レンタルは画期的だったそうです。
  • 大 島  それも口コミで一気に広まりましたから。
  • 関 根  まだホームページもありませんでしたから、インターネットで探してもアトリエヨシノの情報は出てこない時代です。
  • 織 家  千木良に移るタイミングで、色々なことがシステム化されていくんですよね。
  • 大 島  縫製工場ができたのも千木良に移ってからです。若柳の頃は、10名ほどの縫製者さんに頼んでいました。
  • 関 根  私が入社した頃には工場が二つありました。まだ多くても月に100枚くらいの生産量でしたから、自分ひとりで工場への発注ができたんです。

バレエを知らなかったことが
成功の要因?

  • 大 島  社長が最初からバレエ業界の人だったら、成功しなかったのではないかという話を聞いたことがあります。
  • 高 野  私もそういうお話を伺ったことがあります。 私もバレエ未経験者ですが、最近ではバレエ経験者が入社することも多くなりました。アトリエヨシノの衣裳を着て育ったというスタッフが増えましたね。
  • 織 家  アトリエヨシノの衣裳で踊っていた子ども達が入社したいと思ってくれることは、とても嬉しい事ですし、会社の力になると思っています。アトリエヨシノと一緒に育ってきた子ども達から『バレエ団に入りました』といった連絡をくれたり、その子ども達が長くバレエを続けて、教室を開くことがあればとても嬉しいです。そうやって繋がっていくことが仕事をしていく上での喜びですし、お客様や子ども達と共に成長してきたアトリエヨシノの歴史になっていくと思います。
    社長は以前、アトリエヨシノという名前を表に出していこうということを仰いませんでしたが、『さがみ湖野外バレエフェスティバル』を開催した頃からは文化事業に注力し、バレエの発展につなげていこうという気持ちが強くなられたように思います。バレエセミナーを最初に開催したとき、海外のバレエスクールに留学できるスカラシップ制度をいただき、私はその担当者だったのですが、最初のスカラシップで留学した子ども達が舞踊専攻で大学へ進み、『さがみ湖野外バレエフェスティバル』にも出演してくれたことは大きな喜びでした。
バレエを知らなかったことが成功の要因? バレエを知らなかったことが成功の要因?

思い入れのある衣裳はありますか?

  • 長谷川  新しいものでは〝美女と野獣〟の野獣の衣裳が一番好きです。私は飾り付けをずっと担当していますが、今日も手袋の先に爪を付けて納品しました。舞台関係の衣裳もどんどん出てきて楽しいですね。
  • 平 本  「縫製者として一番大変だった〝花びらロマン〟ですね。30着くらい縫ったので…。
  • 大 島  私は『兵隊のチュチュ』が印象に残っています。平本さん、あればっかり縫っていたような…。
  • 平 本  それと〝ストライプチュチュ〟。この二つは印象に残っています。
  • 高 野  まだ私がパートのパタンナーだった頃、『第1回さがみ湖野外フェスティバル』の〝白鳥の湖〟全幕の衣裳です。
  • 関 根  この会社に入りたいと思うきっかけになった衣裳なんですが、インターネットで検索をしているうちに、バレエ公演などのパンフレット制作の会社に辿り着いたとき、そこでアトリエヨシノの〝バヤデール〟の幕物の衣裳を見つけました。民族色の強い装飾や色合いで、それまで見てきた子ども用の衣裳とは全く違った印象を受けたんです。自分の好きな分野でもあるので、今でも印象に残っています。
  • 大 島  私は注文を受ける立場なので、どれが好きというような目線ではないのですが、一番に思い出深いものは、子どもの〝パ・ド・シス〟です。オーガンジーの繊細な素材で、とても印象に残っています。
  • 織 家  製作担当でない私は、作っているところを見ているので、『あんなに怒られていたのにこんな素敵な衣裳になって…』とか、そういった目線になります。デザイナーごとですと、例えば関根さんの衣裳なら〝シルヴィア〟の色合いも飾りも最高ですし、社長が手がける子ども達の衣裳はとてもかわいいです。鼓笛隊の衣裳も思い出深いですね。地元の小学校の運動会で着る鼓笛隊の衣裳を寄贈したことがあって、今も使っていただいているんですが、とても大変だったんですよ。そもそも言いだしたのは私なんですけど(笑)。
  • 高 野  そうだったんですね(笑)。
  • 織 家  娘が小学生の頃、運動会の鼓笛隊で着ている衣裳がひどいと社長にポロッと話したら、社長が『作ってあげるわよ』と。こんな大掛かりなことになるとは思っていなかったんです(笑)。普段、仕事で素敵な衣裳をたくさん見ていると、つい…。
  • 高 野  そこからみんなで頑張りましたよ(笑)。
思い入れのある衣裳はありますか?
思い入れのある衣裳はありますか?
思い入れのある衣裳はありますか?

アトリエヨシノ の”強み”とは?

  • 大 島  第一に在庫がいっぱいあることじゃないですか? 自分の部署でいえば、みんな親切です(笑)。プランニング部のスタッフは、お客様への親切な対応がしっかりできているな、という実感があります。
  • 関 根  私もやはり衣裳の数が一番に浮かびます。そのたくさんの衣裳を常に最高の状態にしておくために、みんな真剣にメンテナンスやチェックをし、作り替えをして…。一年中、その繰り返しです。クリーニングもしっかりとやっていて、衣裳の数も膨大ですが、状態を維持するための作業をはじめ、本当に良いものを届けようという気持ちはスタッフ全員の共通意識です。これが強みといえます。
  • 高 野  お客様に満足いただけるよう常に最善を尽くすというところに、それぞれの部署が一丸となって向かっていることだと思います。
  • 平 本  みんな同じだとは思いますが、各部署、お客様のことを思って、部署ごとに一生懸命やっているということが何よりの強みだと思います。
  • 長谷川  強みというとやはり衣裳の良さというところではないでしょうか。色もサイズも豊富ですから。
  • 織 家  オリジナル性のあるデザインと在庫数。そして、どの部署もお客さまに対して心を込めて真摯に仕事をしているところですよね。
  • 高 野  社長がとてもスタッフを大事にしてくれるところも。
  • 全 員  そうそう。
  • 高 野  スタッフにできる限り長く働いてほしいと思ってくださっていて、産休や育休を取った場合にも、そこからは時短で社員として戻れるようにしてくださったり、そうした女性社長ならではのサポートがあります。
  • 織 家  女性は働きやすい会社ですね。
  • 長谷川  私は70歳になりましたが、まだ働いていられますし、介護をしながら無理なく働けるようにしてくれた時期もありました。
  • 織 家  社長も主婦であり、子育てもされてきたからこそ、分かってくださる部分が多いのでしょうね。
  • 大 島  みんな女性としてはよく働いているなと思います。
  • 長谷川  社員のほとんどが女性で、女性だけでこれだけ大きくなったんだもんね。
  • 織 家  逆に、そこが弱みかも。女性に偏っている部分が。
  • 大 島  確かにそうかも(笑)。強みでもあり弱みでもある。よく働きはしますけど。
  • 織 家  女性の考え方でやっています。
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